万葉集 — 現存最古の歌集と、 天皇から防人までの声
8 世紀後半に編纂された『万葉集』 は、 現存する日本最古の歌集にして、 天皇から防人 (辺境の兵士) まで約 4,500 首を集めた驚くべきアンソロジー。 大伴家持を編者と仮定し、 20 巻の構成、 表記法 (万葉仮名)、 素朴で力強い作風、 東歌・防人歌の意義を辿る。
「万葉集」 という書物
『万葉集 (まんようしゅう)』 は、 7 世紀後半から 8 世紀後半にかけての和歌約 4,500 首 を集めた、 日本現存最古の歌集。 全 20 巻。 編纂完了は 759 年 (天平宝字 3) 頃と考えられている。
編者は 大伴家持 (おおとものやかもち、 718?-785) が最終編纂者とする説が最有力だが、 巻ごとに複数人が関わった痕跡があり、 単独編纂ではない。 家持自身の歌が全体の約 1 割 (473 首) を占めていて、 「家持の歌集」 的な側面もある。
4,500 首は誰の声か
万葉集の最大の特徴は 収録範囲の異例の広さ。 天皇・皇族から、 官人、 地方民、 兵士、 遊女、 名前が伝わらない民衆まで、 あらゆる層の歌が並ぶ。 これは同時代の他国の詩集 (中国の『詩経』 は例外だが)、 のちの日本の勅撰集 (『古今集』 以降) と比べても異例。
天皇・皇族の歌
天智天皇・天武天皇・持統天皇、 額田王 (ぬかたのおおきみ) など、 律令国家形成期の権力者の歌が多数収録される。
「熟田津に 船乗りせむと 月待てば 潮もかなひぬ 今は漕ぎ出でな」 (額田王) — 斉明天皇の朝鮮出兵の際、 出航の合図を詠んだ壮大な歌。
大伴家持と一族
大伴家持 は北陸 (越中) 国司として赴任した経験から、 越中の景物を数多く詠んだ。 一族の大伴旅人 (家持の父)、 大伴坂上郎女 (家持の叔母) も万葉を代表する歌人。
東歌 (あずまうた)
巻 14 に収録された 東国 (関東・東北) の民の歌 230 首。 中央の雅な言葉ではなく、 地方方言の残る素朴な歌で、 8 世紀の東国方言の資料として言語学的にも貴重。
「筑波嶺に 雪かも降らる 否をかも 愛しき児ろが 布乾さるかも」 — 筑波山に雪が降っているのか、 それとも愛しい娘が布を干しているのか。 素朴だが情緒のある比喩。
防人歌 (さきもりうた)
巻 20 に収録された 九州の防衛に赴任させられた東国の兵士たちの歌 84 首。 家族との別れ・望郷・不安が生々しく詠まれている。
「唐衣 裾に取りつき 泣く子らを 置きてそ来ぬや 母なしにして」 (防人歌) — 母のない子らが袖にすがって泣くのを置いてきた、 という別れの歌。 1200 年後の私たちにも直接届く。
万葉仮名 — 漢字で日本語を書く
万葉集の時代、 まだ平仮名・片仮名は成立していなかった。 歌は漢字を借りて日本語の音を表記する 万葉仮名 で書かれた。
例: 「はる」 (春) を 「波流」 や 「春」 と表記する。 前者は音を借りた表記 (音仮名)、 後者は漢字の意味を借りた表記 (訓仮名)。 万葉仮名は音仮名・訓仮名が混在する複雑なシステムで、 これがのちに平仮名 (音仮名の草書化) と片仮名 (音仮名の一部の省略) の 2 つの表音文字を生む。
現代の私たちが読む万葉集は、 江戸期以降の国学者 (契沖・賀茂真淵・本居宣長ら) が万葉仮名を 和文の書き下し に読み解いた成果の上に成り立っている。
「素朴で直接的、 大きな景色」 の作風
万葉集の作風は、 のちの『古今集』 以降の技巧的な歌風とは対照的に、 「ますらをぶり (男性的で力強い)」 と評される (賀茂真淵の言)。
代表的な歌の特徴:
- 枕詞・序詞 など古い修辞法が多用される
- 掛詞・縁語 はまだ発達していない (古今以降の技法)
- 五七調 (5-7 / 5-7 / 7) の朗誦的なリズムが主流 (古今以降は七五調)
- 大きな景色を大きな声で詠む — 山部赤人の富士山歌、 柿本人麻呂の泣血哀慟歌など
「田子の浦ゆ うち出でて見れば 真白にそ 富士の高嶺に 雪は降りける」 (山部赤人) — 「田子の浦を通って出てみると、 富士の高い峰に雪が降ることだ」。 現代の写真より鮮明な光景。
20 巻の構成
万葉集は 20 巻からなるが、 分類は必ずしも整然としていない。 主な分類軸は以下:
- 雑歌 (ぞうか) — 公的な場での歌、 旅の歌、 挽歌以外
- 相聞 (そうもん) — 恋の歌、 消息の歌
- 挽歌 (ばんか) — 死者を悼む歌
これに加えて 東歌 (巻 14)、 防人歌 (巻 20)、 筑紫歌壇 (九州で大伴旅人が主催した歌の会) などが特別枠として置かれる。
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万葉集は「集めきった」 歌集だった。 天皇の歌と防人の歌が同じ書物に並ぶ、 という平等性は、 このあと平安の勅撰集で失われていく。 次の記事では、 万葉最大の歌人 柿本人麻呂 — 泣血哀慟歌・石見相聞歌の壮大な世界に入る。