新版画運動 — 川瀬巴水・橋口五葉、 20 世紀の浮世絵再生
1915 年、 版元渡邊庄三郎が主導した 「新版画 (しんはんが)」 運動。 明治維新後に衰退した木版画技術を、 「絵師・彫師・摺師」 の伝統的分業のまま近代の技法・主題で再生させる試み。 川瀬巴水 (かわせ はすい、 1883-1957) の風景画、 橋口五葉 (はしぐち ごよう、 1881-1921) の美人画、 伊東深水の美人画など、 20 世紀日本の 「浮世絵の続き」 を辿る。
新版画とは — 浮世絵の 20 世紀
新版画 (しんはんが) は、 20 世紀初頭の日本で始まった木版画の再興運動。 明治維新後、 印刷技術の近代化 (石版画・写真製版) で衰退した江戸浮世絵の 「絵師・彫師・摺師」 の分業体制を復活させ、 近代の主題・技法で新しい版画を作る試み。
新版画の特徴:
- 江戸浮世絵の技術 (木版・多色摺・見当合わせ) をそのまま継承
- 主題は近代日本の風景・美人・役者 (伝統と新しさの融合)
- 西洋絵画の陰影・遠近法も取り入れる
- 輸出向け — 主に欧米コレクターを客層に想定
- 版元 渡邊庄三郎 (わたなべ しょうざぶろう、 1885-1962) が中心的な仕掛け人
「新版画」 という語は 1915 年前後に定着。 江戸期を「古版画」、 20 世紀の新運動を「新版画」 と呼び分けた。
背景 — なぜ浮世絵は衰退したか
明治維新後の版画市場の崩壊
- 1868-1900 年、 江戸期の錦絵は急速に衰退
- 原因: 石版画・写真製版の導入で、 版画職人の分業体制が経済的に成り立たない
- 絵師・彫師・摺師の職業自体が消えていく
- 江戸で数十軒あった絵草紙屋が閉店、 明治末期にはほぼ全滅
一方、 海外で浮世絵ブーム
- 1870-1900 年、 ヨーロッパでジャポニズムが流行
- モネ・ドガ・ゴッホ・ロートレックらが浮世絵を収集・研究
- アメリカのボストン美術館・メトロポリタン美術館が江戸浮世絵を大量収蔵
- 1900 年頃、 日本国内より海外の方が浮世絵の需要が高い
この矛盾に着目したのが版元渡邊庄三郎。 「浮世絵の技術で、 現代の絵を作れば、 欧米に売れる」 という発想。
版元 渡邊庄三郎 (1885-1962) — 新版画の仕掛け人
経歴
- 1885 年、 東京生まれ
- 1897 年 (12 歳)、 東京・京橋の版画商 小林文七 (こばやし ぶんしち) の店に丁稚奉公
- 小林文七は江戸浮世絵の輸出商で、 欧米の顧客と広い人脈を持っていた
- 1906 年頃、 独立して版画店を開業
- 1909 年、 「渡邊木版美術画舗」 を京橋に設立
新版画運動の始動 (1915)
- 1915 年、 渡邊は オーストリア人画家 フリッツ・カペラリ (Fritz Capelari、 1884-1950) に木版画のデザインを依頼
- 「西洋人絵師 + 日本の彫師・摺師」 のコラボで、 和洋折衷の新版画を作る実験
- 続いて チャールズ・バートレット (Charles Bartlett、 英国) らも参加
- これが 「新版画」 の始まり
日本人絵師の起用
- 1918 年、 伊東深水 (いとう しんすい、 1898-1972) の美人画を発表
- 1919 年、 川瀬巴水 (かわせ はすい、 1883-1957) の風景画シリーズ開始
- 1920 年、 橋口五葉 (はしぐち ごよう) の美人画を発表 (五葉は独立系だが渡邊と協力)
これで新版画運動は本格化。 渡邊は絵師・彫師・摺師を組織し、 江戸浮世絵の分業体制を 20 世紀に復活させた。
川瀬巴水 (1883-1957) — 新版画の風景画の第一人者
生涯
- 1883 年 5 月 18 日、 東京芝生まれ
- 1908 年 (25 歳)、 洋画家 岡田三郎助に入門、 のち日本画家 鏑木清方に転向
- 1918 年 (35 歳)、 版元渡邊庄三郎と出会う
- 1919 年、 初の新版画シリーズ《旅みやげ第一集》 を発表
- 1957 年 11 月 7 日、 74 歳で死去
作風 — 「昭和の広重」
川瀬巴水の風景画は、 しばしば 「昭和の広重」 と称される:
- 雨・雪・雲・月夜・夕暮れの抒情的な情景
- 静謐で詩情豊か、 人物は点景
- 色調は青・藍を基調とした落ち着いた発色
- 日本各地の名所を主題化
代表シリーズ
《旅みやげ第一集》 (1919-1920)
初期の代表作。 全 12 図。 東京近郊の風景を描く。
《東京十二題》 (1920)
東京の名所 12 図。 大正期の東京を静かに描く。
《東京二十景》 (1925-1930)
関東大震災 (1923) 後の東京の再建を描いた 20 図。 昭和初期の東京の姿。
《日本風景集》 (1932-1940)
日本全国の風景を描く大作シリーズ。 巴水の代表作群。
代表作 (個別)
- 《芝増上寺》 (1925) — 雪の増上寺、 傘をさす女性
- 《馬込の月》 (1930) — 月夜の東京郊外
- 《赤坂溜池》 (1930) — 雨の東京
- 《清水寺》 (1933) — 京都の名所
巴水の技法
- 数十色の重ね摺り — 江戸期を超える色数
- ぼかし摺りを極限まで活用 (雲・霧・雨のグラデーション)
- 雲母摺・空摺もふんだんに使用
- 手掘り・手摺りの伝統技法を厳守
海外での評価
- 1930 年代、 米国・欧州で川瀬巴水の版画が高値で取引される
- スティーブ・ジョブズが愛蔵していたことで有名 (2011 年の死後に判明)
- 現代でも 「日本の風景画といえば巴水」 の海外評価
橋口五葉 (1881-1921) — 美人画の異才
生涯
- 1881 年 12 月 21 日、 鹿児島生まれ
- 兄は洋画家 橋口貢
- 東京美術学校 (現・東京藝術大学) 卒業 (1905)
- 1907-1910 年、 夏目漱石『我輩は猫である』 等の装丁画で名を成す
- 1911 年頃、 木版画に関心を持つ
- 1915 年、 版元渡邊庄三郎の依頼で最初の版画《化粧の女》 を制作
- 1921 年、 40 歳で早逝
40 歳での早逝ゆえ、 五葉の版画作品は数少ないが、 その完成度は極めて高い。
作風 — 大正の美人画
五葉の美人画は、 歌麿の大首絵の系譜を継ぎつつ、 大正期のモダンな女性像を確立:
- 顔と上半身のクローズアップ (大首絵)
- 細部の描写が極めて精緻 — 髪の一本一本、 化粧の陰影
- 日常の一瞬 (化粧・櫛梳き・湯浴み)
- 色調は落ち着いた渋み、 大正の趣味
代表作
《化粧の女》 (1918)
- 女性が鏡の前で化粧をする一瞬
- 背中を見せる後ろ姿
- 大正期のモダンガールの造形
《湯上りの女》 (1920)
- 湯上がりの女性を大首絵で描く
- 肌の陰影が精緻
- 歌麿の《ポッピンを吹く女》 の 130 年後の変奏
《髪梳ける女》 (1920)
- 長い髪を梳く女性
- 髪の流れを精緻に描写
- 五葉の代表作、 現代の日本画コレクションの中核
独立系としての位置
橋口五葉は渡邊庄三郎とは独立系の絵師。 版元渡邊が仕掛けた組織的な新版画とは違い、 五葉は自分で絵師・彫師・摺師を集めて制作していた。
だが技術的・美的な方向性は新版画運動と重なるため、 学術的には新版画の主要な絵師として扱われる。
伊東深水 (1898-1972) — 美人画のもう一人の巨匠
生涯
- 1898 年、 東京深川生まれ
- 1912 年 (14 歳)、 鏑木清方に入門
- 1918 年 (20 歳)、 版元渡邊庄三郎の新版画に参加
- 1972 年、 74 歳で死去
作風
- 鏑木清方の系譜を継ぐ日本画的な美人画
- 大正-昭和のモダンな女性を描く
- 五葉より若干柔らかく甘美な作風
伊東深水は 20 世紀の日本画・新版画の大量生産の絵師として、 生涯に大量の美人画を残した。 現代日本の美人画のイメージ (清方・深水系) の中核。
代表作
- 《雪の宿》 (1922) — 雪の中の女性
- 《おいち》 (1928) — 女性の全身像
- 《朝日》 (1926) — 朝の女性
- 娘の朝丘雪路 (女優、 1935-2018) は伊東深水の実子
吉田博 (1876-1950) — もう一つの系譜
生涯
- 1876 年、 福岡生まれ
- 1899 年、 米国留学、 洋画を学ぶ
- 1920 年代、 木版画に関心
- 1930 年代、 独自の版画を大量制作
- 1950 年、 74 歳で死去
作風
- 洋画的な写実主義 と日本の版画技法の融合
- 山岳風景・海外風景を得意とする
- 色彩は明るく鮮やか、 巴水の抒情とは対照的
代表作
- 《瀬戸内海集》 — 瀬戸内海の風景
- 《劔山》 — 高山の岩肌
- 《グランドキャニオン》 — 米国の風景
吉田博は 「独立系の版画家」 として、 渡邊庄三郎の新版画運動とは別に自身の工房で制作した。 だが新版画の広い定義には含まれる。
新版画 vs 創作版画
同時期、 新版画とは別の版画運動もあった。 それが創作版画 (そうさく はんが):
| 要素 | 新版画 | 創作版画 |
|---|---|---|
| 分業 | 絵師・彫師・摺師 | 一人ですべて (自画自刻自摺) |
| 主題 | 風景・美人 (伝統的) | 自由 (前衛・抽象含む) |
| 代表 | 川瀬巴水・伊東深水 | 山本鼎・恩地孝四郎・棟方志功 |
| 客層 | 欧米コレクター | 日本の美術愛好家 |
| 時代の位置 | 「浮世絵の続き」 | 「近代版画の始まり」 |
新版画は伝統の再生、 創作版画は近代の革命。 この対比が 20 世紀日本版画の 2 大潮流。 次記事の棟方志功は創作版画の代表。
新版画の輸出戦略
渡邊庄三郎の新版画は輸出向けの商品として設計された:
主要な輸出先
- 米国 — ボストン・ニューヨーク・シカゴのコレクター
- 英国 — 大英博物館・美術商
- ドイツ・フランス — ジャポニズムの伝統
販売価格
- 江戸期の錦絵の数十倍〜数百倍の高値
- 「高級美術品」 としてのブランディング
- サイン入り、 限定部数の販売戦略
現代の市場価値
- 巴水の代表作は現代でも数十万〜数百万円で取引
- 五葉の作品はさらに希少で数百万円
- 江戸浮世絵より若干安いが安定した市場
昭和期の新版画
1920-1940 年代、 新版画は輸出で商業的成功を収める。 だが:
太平洋戦争 (1937-1945)
- 1937 年以降、 対外貿易が縮小
- 輸出中心の新版画は打撃を受ける
- 巴水も戦時中は仕事が激減
戦後 (1945-1957)
- 1945-1957 年、 巴水を中心に新版画は再開
- 占領軍 (GHQ) のコレクターが新版画を購入
- 巴水の晩年の代表作《平泉金色堂》 (1957) など
主要絵師の死去
- 1921 年、 橋口五葉死去 (40 歳)
- 1950 年、 吉田博死去 (74 歳)
- 1957 年、 川瀬巴水死去 (74 歳) — 事実上、 新版画運動の終焉
- 1962 年、 渡邊庄三郎死去 (77 歳)
- 1972 年、 伊東深水死去 (74 歳)
主要絵師と版元の死で、 新版画運動は 1970 年代までに終息する。
現代の新版画
渡邊木版美術画舗の継続
- 渡邊庄三郎の子孫が版画商を継承
- 現在も東京・銀座に店舗
- 巴水の版木を使った再摺 (現代の彫師・摺師による)
現代の新版画絵師
- 土屋光逸 (つちや こういつ、 1870-1949) — 巴水の同期
- 笠松紫浪 (かさまつ しろう、 1898-1991) — 新版画の晩期
- 近年の若手絵師 — 江戸期・大正期の技法を復活する試み
海外での評価
- スティーブ・ジョブズ (Apple 創業者) が巴水のコレクター
- フランク・ロイド・ライト (建築家) が浮世絵・新版画コレクター
- 現代でも欧米での需要は根強い
新版画の意義
1. 江戸浮世絵技術の継承
新版画がなければ、 絵師・彫師・摺師の分業技術は 20 世紀初頭に消滅していた可能性が高い。 渡邊庄三郎の運動が、 この職業技術を1950 年代まで生き延びさせた。
2. 「日本の近代」 の視覚化
新版画は大正-昭和初期の日本を、 江戸浮世絵の技法で視覚化した。 これは他のメディア (写真・洋画) にはない独特の記録。
3. 輸出産業としての浮世絵
江戸期の浮世絵は日本国内消費が主流だったが、 新版画は輸出商品として設計された。 これは 20 世紀の日本文化の海外発信の先駆。
4. ジャポニズムの継続
19 世紀のジャポニズムは、 新版画によって20 世紀にも継続した。 現代の日本アニメ・マンガの海外評価の遠い背景に、 新版画の輸出がある。
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新版画が江戸浮世絵の「続き」 だったのに対し、 同時代に根本的に違う道を選んだ版画家がいた。 棟方志功 (むなかた しこう、 1903-1975)。 青森の靴屋の子として生まれた棟方は、 独学で版画を始め、 仏教的な題材と豪快な白黒の彫刻で、 20 世紀日本の版画を世界美術史に押し上げる。 「柳宗悦・民藝運動」 との出会い、 ヴェネツィア・ビエンナーレ受賞、 「版画」 を「板画」 と呼び替えた美学 — 次記事で棟方志功の生涯を辿る。