バッハと 鍵盤音楽 — チェンバロからピアノへの 橋渡し

J.S. バッハ (1685-1750) は 生涯を通じて 鍵盤楽器のための膨大な作品を残した。 [平均律クラヴィーア曲集] 第 1 巻 (1722)・第 2 巻 (1742) の 24 × 2 の前奏曲とフーガは 「音楽の旧約聖書」、 [ゴルトベルク変奏曲] (1741) は 30 の変奏による究極の対位法、 [パルティータ] [イギリス組曲] [フランス組曲] は 世界の鍵盤奏者の基本教材。 1747 年、 62 歳のバッハは ポツダムで フリードリヒ大王の 前でジルバーマン・ピアノを弾き、 [音楽の捧げもの] を生む。 バッハの鍵盤音楽が いかに現代ピアノに 生き続けているかを辿る。

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バッハと 鍵盤 — 「音楽の 父」

ヨハン・ゼバスティアン・バッハ (Johann Sebastian Bach、 1685-1750) は、 前記事 [鍵盤楽器の進化] で見た チェンバロ・クラヴィコード・オルガン・初期ピアノ の 4 種類の鍵盤楽器を すべて 演奏・作曲し、 鍵盤音楽を 究極まで発展させた

生涯に 1000 曲以上 を作曲、 うち 鍵盤楽器のための作品は 数百曲。 これらは 「バロック鍵盤音楽の 頂点」 であると同時に、 現代ピアノ演奏の 基本教材 として 世界の音楽学校の 標準カリキュラム になっている。

バッハの 生涯 — 概略

  • 1685 年 3 月 31 日 — テューリンゲン地方 アイゼナハで誕生。 父はヨハン・アンブロージウス、 町付き楽師
  • 1695 年 — 両親を失い、 兄のもとで オルガンを学ぶ
  • 1703-1707 — アルンシュタット、 ミュールハウゼンの 教会オルガニスト
  • 1708-1717ヴァイマル宮廷の オルガニスト・楽師。 オルガン曲の 全盛期
  • 1717-1723ケーテン宮廷楽長。 世俗音楽の 全盛期 ([ブランデンブルク協奏曲]、 平均律第 1 巻、 無伴奏)
  • 1723-1750ライプツィヒ・聖トマス教会 音楽監督 (カントール)。 [マタイ受難曲]、 [ミサ曲ロ短調]、 [平均律第 2 巻]、 [ゴルトベルク]
  • 1750 年 7 月 28 日 — ライプツィヒで死去、 65 歳

生涯を通じて 教会と 宮廷の 職業音楽家ドイツから 出たことはなかった (最遠は北の リューベック)。 だがその音楽は 世界の音楽の 中核 となる。

生前の 評価 — 「オルガニスト」 として

バッハは 生前 主に オルガンの名手 として知られていた。 1747 年のポツダム訪問時、 フリードリヒ大王は バッハを 「オルガニスト・バッハ」 として招いた。 作曲家として 世界的評価 されたのは、 19 世紀の メンデルスゾーンによる再発見 以降。

生前 大人気だった作曲家は、 バッハではなく 息子の C.P.E. バッハ (1714-1788)テレマン (1681-1767)。 「バッハの音楽は 古臭い」 と 同時代人には 評された。

バッハの 鍵盤楽器

バッハが使用した鍵盤楽器 4 種:

1. オルガン

  • 教会の主要楽器、 バッハの 本業
  • 生涯を通じて 200 曲以上
  • [トッカータとフーガ ニ短調 BWV 565]、 [パッサカリアとフーガ ハ短調 BWV 582] など

2. チェンバロ (Cembalo)

  • 独奏・通奏低音・室内楽の 標準
  • [平均律]、 [ゴルトベルク]、 [パルティータ]、 [組曲] のほとんどは チェンバロ用
  • バッハ自宅にも 複数台所有

3. クラヴィコード

  • 自宅練習用、 内省的な楽器
  • 息子の C.P.E. バッハ が特に愛用
  • [平均律] も クラヴィコードで 弾かれることが多かった

4. ジルバーマン・ピアノ (1747 年頃から)

  • 前記事の ゴットフリート・ジルバーマン が製造
  • バッハ自身は 初期の試奏で 不満 を述べた
  • 1747 年 5 月、 ポツダムで 大王の楽器 (ジルバーマン式) を弾いた ときには 改良版に納得

[平均律クラヴィーア曲集] — 「音楽の 旧約聖書」

[平均律クラヴィーア曲集 (Das Wohltemperierte Klavier、 WTC)] は、 12 の長調と 12 の短調 = 24 の全調 のそれぞれに、 前奏曲 (Prelude) と フーガ (Fugue) を書いた 曲集。

  • 第 1 巻 (BWV 846-869) — 1722 年完成、 ケーテン時代
  • 第 2 巻 (BWV 870-893) — 1742 年完成、 ライプツィヒ時代
  • 合計 48 曲 (24 × 2)

「音楽の 旧約聖書」

ハンス・フォン・ビューロー (19 世紀のピアニスト・指揮者) が 「平均律は 旧約聖書、 ベートーヴェンのソナタは 新約聖書」 と 呼んで以来、 これは 世界のピアニストの 標準用語

24 の調で 作曲する ためには 鍵盤の 各音を どう調律するか が問題。 純正律 では 特定の調しか 正しく響かない。 バッハは 「平均律 (well-tempered)」12 音を おおむね均等に 調律 する方式を 想定していた (正確には 「均等平均律 (equal temperament)」 より 微妙に 異なる調律法だった説が有力)。

演奏文化

  • 練習曲・教則本 としての 定番
  • ロザリン・テューレック、 グレン・グールド、 スヴィアトスラフ・リヒテル、 アンドラーシュ・シフ、 ダニエル・バレンボイム が 全曲録音
  • 「一日一曲」 の 修行スタイルが 世界の音楽学校に 定着

[ゴルトベルク変奏曲] (1741)

[ゴルトベルク変奏曲 (Goldberg-Variationen、 BWV 988)] は、 アリア (主題)30 の変奏 からなる、 バッハ最大の 独奏曲。

由来

バッハの弟子 ヨハン・ゴットリープ・ゴルトベルク (1727-1756) が、 不眠に悩む カイザーリンク伯爵 のために 夜な夜な演奏した曲、 という伝承。 (真偽は 現代の研究で 疑問視される)

構造

  • アリア (32 小節の 主題)
  • 30 変奏 — 3 の倍数ごとに カノン (3 度カノン、 6 度カノン、 9 度カノン …)
  • アリア・ダ・カーポ (最後に主題が 再帰)

「変奏曲の 究極形」 と評される。 30 の変奏それぞれが 異なる技巧・性格を持ちながら、 主題のバス進行 (chaconne bass) で 統一されている。

グレン・グールドの 1955 年録音

1955 年 6 月、 22 歳のグールド が Columbia で 録音した [ゴルトベルク] は、 20 世紀のクラシック音楽 最大の 事件 の一つ。 それまで 「マイナー曲」 だった ゴルトベルクを 世界的名曲 に 変えた。

グールドは 1981 年に再録音 も残した。 前者は 「若さ・軽快」、 後者は 「熟慮・遅さ」 の 対比が 有名。 1982 年、 再録音の直後にグールドは 死去した (50 歳、 前記事 [チューリング・ワイルズ] の チューリングと 近い早世)。

[パルティータ]・[イギリス組曲]・[フランス組曲]

バッハの 組曲 (Suite) は、 バロック期の 標準的な 6 舞曲のセット:

  • アルマンド (Allemande) — ドイツ舞曲、 4 拍子
  • クーラント (Courante) — フランス・イタリアの舞曲、 3 拍子
  • サラバンド (Sarabande) — スペイン舞曲、 3 拍子、 ゆっくり
  • ジグ (Gigue) — イギリス・アイルランド舞曲、 速い
  • その他 — ガヴォット、 メヌエット、 ブーレなど

3 種の組曲

  • [パルティータ集 BWV 825-830] (1731 公刊) — 6 曲、 バッハ最高峰の 鍵盤組曲
  • [フランス組曲 BWV 812-817] — 6 曲、 短く 演奏しやすい
  • [イギリス組曲 BWV 806-811] — 6 曲、 冒頭に プレリュード あり

これらは 世界の ピアノ教育の 基本教材。 「バッハを弾かずして ピアノを語れない」 という 文化圏。

[インヴェンションとシンフォニア] — 教材の 傑作

[2 声のインヴェンション BWV 772-786] (15 曲)[3 声のシンフォニア BWV 787-801] (15 曲) は、 息子 W.F. バッハの教育 のために書かれた 曲集。

  • 短く (1-3 分)、 明確な対位法
  • 世界の ピアノ入門者の 標準教材
  • バロック鍵盤音楽への 入門書

「まず インヴェンション、 次にシンフォニア、 それから 平均律」 という 世界の ピアノ教育の 標準順序

[半音階的幻想曲とフーガ] BWV 903

[半音階的幻想曲とフーガ ニ短調 BWV 903] は、 バッハの独奏曲の 中で 最も情熱的・劇的な作品

  • 幻想曲: 自由な 即興的走句、 半音階的 進行
  • フーガ: 3 声の 明晰な 対位法

19 世紀ロマン派の 予告、 とも 言われる。 リスト、 ブゾーニらが 編曲・演奏。 現代でも リヒテル、 マレイ・ペライア、 内田光子 らの 名演。

1747 年 — ポツダム訪問と [音楽の捧げもの]

1747 年 5 月62 歳のバッハ は 息子 カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ を訪ねてポツダムへ。 フリードリヒ大王 (プロイセン王、 1712-1786) は 音楽愛好家で、 ジルバーマン式のピアノを 15 台以上 所有していた。

大王の 主題

大王は バッハに 自作の主題 (「Thema Regium」) を提示し、 フーガを 即興演奏 することを求めた。 バッハは 3 声のフーガを即興6 声のフーガは 「即興では できません」 として、 帰宅後 書いて 献呈すると答えた。

[音楽の捧げもの] (Musikalisches Opfer、 BWV 1079)

帰宅後、 バッハは 大王の主題に基づく 13 曲の作品集 を書き上げ、 1747 年 9 月 に大王に献呈:

  • 2 つの リチェルカーレ (3 声、 6 声)
  • 10 の カノン
  • 1 つの トリオ・ソナタ

このうち 6 声のリチェルカーレ は バッハ対位法の 究極形。 現代でも ヴェーベルン (1935) が オーケストラ編曲、 リヒテル、 グールド、 チッコリーニ が 演奏。

「バッハが 実際にピアノを 認めた 象徴的な瞬間」 として、 音楽史に残る。

バッハの 再発見 — メンデルスゾーンの 1829 年

バッハの死後、 その作品は 50-80 年 忘れられた。 復活の きっかけは:

1829 年 3 月 11 日 — [マタイ受難曲] 復活演奏

20 歳のフェリックス・メンデルスゾーン が、 ベルリン・ジングアカデミーで バッハ [マタイ受難曲] を 1729 年初演以来 100 年ぶりに 演奏

これが バッハ復活の 大事件。 以降 19 世紀を通じて、 バッハの 全作品が 再発見・出版されていく。

バッハ協会 (Bach-Gesellschaft)

1850 年、 バッハ没後 100 年に バッハ協会 設立。 全作品の 校訂出版事業 (旧バッハ全集、 1851-1900) が 開始。 これが 現代の バッハ研究・演奏の 基盤。

BWV 番号 (Bach-Werke-Verzeichnis、 バッハ作品目録) は 1950 年に ヴォルフガング・シュミーダー が編纂。 現代でも 全世界共通の バッハ作品番号。

バッハと ピアノ演奏史

19 世紀 — リストのアレンジ

リスト (1811-1886) は バッハのオルガン曲を ピアノ用に編曲、 現代でも 演奏される (「幻想曲とフーガ ト短調」 など)。 バッハを ピアノで 弾く伝統 を 確立。

20 世紀 — 3 つのバッハ解釈スタイル

  1. ロマン派スタイル (ブゾーニ、 パデレフスキ) — 濃厚な表情、 大きなダイナミクス
  2. モダン・ピアノスタイル (シフ、 グールド、 ペライア、 内田光子) — 明晰、 声部の独立
  3. 古楽スタイル (レオンハルト、 コープマン、 スホーンデルヴォート) — チェンバロ・フォルテピアノで 復元

現代の演奏家は これらを 選択・融合 する。 「絶対の正解はない」 が バッハ演奏の 特徴。

バッハ弾きの 系譜 — 20-21 世紀

  • エドウィン・フィッシャー (1886-1960) — 平均律 全曲録音の 先駆
  • ヴァンダ・ランドフスカ (1879-1959) — チェンバロ復興の 立役者
  • グレン・グールド (1932-1982) — 20 世紀の 象徴
  • タチアーナ・ニコラーエワ (1924-1993) — ソ連の バッハ弾き
  • ロザリン・テューレック (1913-2003) — 平均律の 権威
  • アンジェラ・ヒューイット (1958-) — 21 世紀の 平均律スペシャリスト
  • アンドラーシュ・シフ (1953-) — バッハ全体を 網羅
  • 内田光子 (1948-) — 澄明なバッハ

「バッハ弾き」 という カテゴリが 20 世紀に 確立。 現代でも 「バッハを どう弾くか」 が ピアニストの 試金石。

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バッハと 鍵盤音楽の 世界を辿った。 次記事では、 モーツァルトとハイドン に入る。 モーツァルト (1756-1791) の 27 の ピアノ協奏曲、 18 のソナタ、 幻想曲ハイドンの ソナタ集 — バッハの死後 (1750) から半世紀で、 ピアノ (フォルテピアノ) が 古典派の 独奏楽器・協奏楽器の 王座 に 上る過程を辿る。 チェンバロから フォルテピアノへ、 教会音楽から 宮廷音楽・貴族サロンへの 移行の 時代へ。

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