ピアノの系譜 — クリストフォリからラン・ランまで 300 年
1700 年頃、 バルトロメオ・クリストフォリが 「強弱の出るチェンバロ (pianoforte)」 を発明。 それから 300 年、 モーツァルトのフォルテピアノ、 ベートーヴェンの重厚な鍵盤、 ショパン・リストのロマン派、 スタインウェイの完成、 ホロヴィッツ・グールド・アルゲリッチの 20 世紀名演、 そして辻井伸行・藤田真央・キーシン・ラン・ランの現代まで — 楽器と作曲家と ピアニストが 三位一体で紡ぐ 300 年の系譜を、 全 12 コンテンツで辿る。
ピアノとは何か
ピアノ (Piano) は、 正式名 ピアノフォルテ (Pianoforte) — 「弱く (piano) も 強く (forte) も 弾ける」 楽器を意味する。 1700 年頃、 イタリアの楽器職人 バルトロメオ・クリストフォリ が発明した、 打弦式の鍵盤楽器。
それ以前の主要鍵盤楽器 チェンバロ (harpsichord) は 弦を 爪で弾く ため 強弱がつけられない。 クラヴィコード (clavichord) は 打弦式だが 音量が極端に小さい。 クリストフォリの発明は、 強弱表現と 実用的な音量を両立 させた 決定的な発明だった。
300 年で、 この楽器は 世界最大の 独奏楽器・アンサンブル楽器・作曲基盤 となり、 「西洋音楽の 中心」 の地位を占めることになる。
「楽器 + 作曲家 + ピアニスト」 の 三位一体
ピアノの歴史を語るとき、 3 つの視点が 不可分に絡み合う:
- 楽器としてのピアノ — 職人と製造技術 (クリストフォリ、 ジルバーマン、 ブロードウッド、 エラール、 スタインウェイ、 ベーゼンドルファー、 ヤマハ、 カワイ)
- 作曲家 — ピアノのために書いた人 (バッハ、 モーツァルト、 ベートーヴェン、 ショパン、 リスト、 シューマン、 ブラームス、 ドビュッシー、 ラフマニノフ)
- ピアニスト — 演奏する人 (リスト、 ルービンシュタイン、 ホロヴィッツ、 グールド、 リヒテル、 アルゲリッチ、 キーシン、 ラン・ラン、 辻井伸行、 藤田真央)
この 3 者が 相互に影響しあい、 楽器も 作品も 演奏スタイルも 変容してきた。
300 年の 5 期区分
第 1 期: フォルテピアノの誕生 (1700-1770)
クリストフォリ (1655-1731) が 1700 年頃 発明。 弦を打つハンマー、 押鍵後にダンパーが弦を止める機構。 当初は評価されず、 バッハでさえ 一度試奏して 「まだチェンバロの方が良い」 と評したという逸話。 ジルバーマン が改良を重ね、 1760 年代に至って ようやく 主要楽器へ。
第 2 期: ウィーン古典派 (1770-1830)
モーツァルト (1756-1791) と ベートーヴェン (1770-1827) の時代。 モーツァルトの 27 のピアノ協奏曲、 ベートーヴェンの 32 のピアノ・ソナタ・5 つの協奏曲 — ピアノ音楽の 中心リパートリーが 一気に成立。 楽器は ウィーン式 (シュタイン、 ヴァルター)。 音域は次第に拡張 (5 オクターブ → 7 オクターブ)。
第 3 期: ロマン派 (1830-1900)
ショパン (1810-1849) と リスト (1811-1886) が 「ピアノの詩人」 と 「ピアノの魔術師」 として双璧。 シューマン、 メンデルスゾーン、 ブラームス、 チャイコフスキー、 ラフマニノフ、 グリーグ — 独奏曲・協奏曲の 大量生産。 楽器は フランス式 (エラール、 プレイエル) と ドイツ式 (ブロードウッド、 スタインウェイ) が競合。 1855 年、 スタインウェイがニューヨークで創業、 現代ピアノの標準形が確立。
第 4 期: 印象派と 20 世紀前半 (1900-1950)
ドビュッシー (1862-1918) と ラヴェル (1875-1937) による 色彩的ピアニズム。 スクリャービン、 プロコフィエフ、 ショスタコーヴィチ のロシア。 ラフマニノフ (1873-1943) が ピアニスト兼作曲家 として最後の 完成形。 ホロヴィッツ・ルービンシュタイン・シュナーベル らの録音時代到来。
第 5 期: 現代 (1950-)
リヒテル、 グールド、 アルゲリッチ、 ポリーニ、 ブレンデル、 内田光子 の巨匠世代 → キーシン、 ラン・ラン、 ユジャ・ワン、 辻井伸行、 藤田真央 の現世代。 ジャズピアノ (エヴァンス、 モンク、 キース・ジャレット) の並行系譜。 YouTube、 コンクール、 世界ツアー の時代。
主要な 12 の場面
- 1700 年頃 — クリストフォリ、 「pianoforte」 を発明
- 1747 年 — バッハ、 フリードリヒ大王の前で ジルバーマン・ピアノを弾く
- 1795 年 — ベートーヴェン、 25 歳でウィーン・デビュー
- 1830 年代 — ショパン、 パリでサロンの寵児に
- 1839 年 — リスト、 「リサイタル」 という形式を発明
- 1855 年 — スタインウェイ、 ニューヨーク創業
- 1873 年 — ラフマニノフ生まれる。 手が特別に大きい (13 度届く)
- 1913 年 — ドビュッシー [前奏曲集第 2 巻]、 印象派ピアノの完成
- 1948 年 — ホロヴィッツ、 NBC 放送で伝説の演奏
- 1955 年 — グールド、 [ゴルトベルク変奏曲] を録音、 世界を震撼させる
- 1965 年 — アルゲリッチ、 ショパンコンクール優勝
- 2009 年 — 辻井伸行、 ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクール優勝
ピアノ音楽の 「量」
ピアノほど 大量の 独奏曲が書かれた楽器はない:
- ベートーヴェン — 32 のソナタ、 5 つの協奏曲、 変奏曲多数
- ショパン — ほぼ全作品がピアノ (200 曲以上)
- リスト — 700 曲以上のピアノ曲・編曲
- シューマン — 特に前半生はピアノに集中
- ラフマニノフ — 4 つの協奏曲、 プレリュード、 練習曲
「ピアノを弾ける = 西洋音楽の 90% にアクセスできる」 — この 楽器の 特殊な位置。
ピアノは 「小さなオーケストラ」
88 鍵、 7 オクターブ以上、 10 本の指 で:
- 旋律 + 和声 + 対旋律 + ベースを 同時に表現
- 打楽器的な アクセントも 弦楽器的な レガートも
- pp から fff まで の ダイナミクス
「一人で オーケストラを担う」 ことができる。 これが 独奏楽器としての ピアノの 決定的優位。
現代のピアノ製造 — 3 大メーカー
- スタインウェイ (Steinway、 米独) — 1853 年創業。 現代ピアノの 事実上の標準。 「Steinway artists」 と 契約するピアニストは 多い
- ベーゼンドルファー (Bösendorfer、 墺) — 1828 年創業。 リストが 認めた 音色。 「94 鍵モデル (インペリアル)」 で 有名
- ヤマハ・カワイ (日) — 20 世紀後半に 急成長。 世界のホール・音楽学校で 標準採用
日本のメーカーが 世界標準の一角に なったのは、 20 世紀後半の 産業史の 重要トピック。
このシリーズで扱う予定の記事
以下 11 記事 (overview 除く) を 時代順に:
- 鍵盤楽器の 進化 — チェンバロからクリストフォリ、 スタインウェイまで
- バッハと 鍵盤音楽 — 平均律、 ゴルトベルク、 チェンバロからピアノへ
- モーツァルトとハイドン — 古典派ピアノ協奏曲の 完成
- ベートーヴェン — 32 のソナタ、 楽器の限界を超える作曲
- ショパン — ピアノの詩人、 パリのサロン
- リスト — ピアノの魔術師、 リサイタルの発明
- シューマン・ブラームス — ドイツ・ロマン派
- ドビュッシー・ラヴェル — 印象派の色彩
- ラフマニノフ・スクリャービン — ロシア・ロマン派の 最終形
- 20 世紀名ピアニスト — ホロヴィッツ・グールド・アルゲリッチ
- 現代 — キーシン・ラン・ラン・辻井伸行・藤田真央、 ジャズピアノとの融合
全体像
「一人で 弾ける オーケストラ」 としてのピアノは、 300 年で クラシック音楽の 中心楽器 となった。 その系譜は、 職人・作曲家・演奏家 の 三者関係の 産物。 楽器の 進化が 作曲家に 新しい表現を可能にし、 名ピアニストが 楽器と作品の 可能性を 引き出した。
このシリーズでは、 その 300 年を 人と楽器と 音楽 の 三位一体として辿る。 次記事は、 まず 鍵盤楽器そのものの 進化史 から。
公開済みの記事
- 鍵盤楽器の進化 — クラヴィコードからスタインウェイまで
- バッハと 鍵盤音楽 — チェンバロからピアノへの 橋渡し
- モーツァルトとハイドン — 古典派ピアノの黄金時代
- ベートーヴェン — 32 のソナタ、 楽器の限界を 超えた作曲
- ショパン — ピアノの詩人、 パリの サロン
- リスト — ピアノの魔術師、 リサイタルの発明
- シューマン・ブラームス — ドイツ・ロマン派の 内省
- ドビュッシー・ラヴェル — フランス印象派の 色彩
- ラフマニノフ・スクリャービン — ロシア・ロマン派の 最終形
- 20 世紀の名ピアニスト — ホロヴィッツ・グールド・リヒテル・アルゲリッチ
- 現代のピアニストとジャズピアノ — キーシン・ラン・ラン・辻井伸行・藤田真央・エヴァンス・キース・ジャレット