ラフマニノフ・スクリャービン — ロシア・ロマン派の 最終形
20 世紀初頭、 モスクワ音楽院の 同期生だった セルゲイ・ラフマニノフ (1873-1943) と アレクサンドル・スクリャービン (1872-1915) は、 対照的な道を歩んだ。 ラフマニノフは 4 つのピアノ協奏曲・[パガニーニの主題によるラプソディー]・24 の前奏曲・練習曲 [音の絵] で 「ロシア・ロマン派の 最後の 光」 を守り、 ロシア革命後は 米亡命。 スクリャービンは 神秘主義に傾倒、 10 のピアノ・ソナタ・[プロメテウス — 火の詩] で 「調性の解体」 へ。 43 歳で早世した スクリャービンと、 70 歳まで生きた ラフマニノフを 対比しつつ辿る。
ロシア・ロマン派の 最終形 — 対照的な 2 人
前記事 [ドビュッシー・ラヴェル] の フランス印象派と 並行して、 20 世紀初頭のロシア で は ロマン派の 最後の 光 が 燃え続けた:
- セルゲイ・ラフマニノフ (Sergei Rachmaninoff、 1873-1943) — 70 歳、 ロマン派の 継承者
- アレクサンドル・スクリャービン (Alexander Scriabin、 1872-1915) — 43 歳、 神秘主義への 逸脱
モスクワ音楽院の 同期生 だった 二人は、 対照的な 道を 歩んだ。 ラフマニノフは 「過ぎ去った 世紀の 音楽」 を 守り、 スクリャービンは 「未来への 神秘的な 跳躍」 を 試みた。
ロシア音楽の 系譜
前々シリーズ [西洋音楽の系譜] 07 で見た チャイコフスキー (1840-1893) と 五人組 (1860 年代) の 後継:
- セルゲイ・タネーエフ (1856-1915) — チャイコフスキーの 弟子、 モスクワ音楽院 教授
- アレクサンドル・グラズノフ (1865-1936) — サンクトペテルブルク、 リムスキー=コルサコフの弟子
- アントン・アレンスキー (1861-1906) — モスクワ、 ラフマニノフの師
- ラフマニノフ・スクリャービン (1870 年代生まれ) — 本記事
- プロコフィエフ (1891-1953)、 ショスタコーヴィチ (1906-1975) — 20 世紀ソ連 (次シリーズ 09 で 詳述)
セルゲイ・ラフマニノフ — ロマン派最後の 巨人
セルゲイ・ヴァシリエヴィチ・ラフマニノフ (Sergei Vasilyevich Rachmaninoff、 1873-1943) は、 ロシア・ノヴゴロド近郊 (セミョーノヴォ) 生まれ。 作曲家・ピアニスト・指揮者 の 三役、 20 世紀最大の ピアニストの一人。
生涯 (概略)
- 1873 年 4 月 1 日 — ノヴゴロド近郊で 誕生 (貴族の家)
- 1885 年 — モスクワ音楽院 入学、 ニコライ・ズヴェーレフ・アレンスキー・タネーエフに 師事
- 1892 年 — 卒業、 [前奏曲 嬰ハ短調 Op. 3-2] 作曲 (生涯 追いかけ続けた 「呪いの 曲」)
- 1897 年 — [交響曲第 1 番] 初演 大失敗、 グラズノフの 酔った 指揮
- 1897-1900 — 深い鬱、 3 年間 作曲できず
- 1900 年 — ニコライ・ダール 医師の 催眠療法
- 1901 年 — [ピアノ協奏曲第 2 番 ハ短調 Op. 18] 初演 大成功 — ダール医師に献呈
- 1917 年 11 月 — ロシア革命、 家族で フィンランド・スイス経由で アメリカ亡命
- 1918-1943 — 米国・スイスで 演奏活動、 作曲は 少数
- 1943 年 3 月 28 日 — ビバリーヒルズで 悪性メラノーマにより 死去、 70 歳
「呪いの前奏曲」 — 嬰ハ短調 Op. 3-2
1892 年、 19 歳で作曲 した [前奏曲 嬰ハ短調 Op. 3-2] が 世界的大ヒット。 生涯 演奏会で アンコールに必ず求められる:
「私は 生涯で 一度も、 この曲を 弾かない演奏会を 持てなかった」 (ラフマニノフ自身)
「作曲家が 自分の 若い頃の 作品に 縛られる」 象徴的な 例。
4 つのピアノ協奏曲
ラフマニノフの 最大の 作品群:
- [第 1 番 嬰ヘ短調 Op. 1] (1891, 改訂 1917) — 若書き、 現在も 演奏される
- [第 2 番 ハ短調 Op. 18] (1900-1901) — 世界一有名なピアノ協奏曲の 一つ、 冒頭の 鐘の音、 第 2 楽章の 甘美なメロディー
- [第 3 番 ニ短調 Op. 30] (1909) — 史上最難関の ピアノ協奏曲、 「ラフ 3」、 映画 [シャイン] (1996) の 主題曲
- [第 4 番 ト短調 Op. 40] (1926, 改訂 1941) — 米亡命後、 相対的に 演奏頻度低い
[ラフマニノフ 3 番] — 「ピアニストの エベレスト」
[ピアノ協奏曲第 3 番 ニ短調 Op. 30] は、 ピアノ音楽の 最難曲の 一つ:
- 演奏時間 45 分
- 手が大きくないと 弾けない 難所 (ラフマニノフ自身が 13 度 (1 オクターブ + 6 度) を届く 巨大な手)
- 第 1 楽章の カデンツァ — 「大カデンツァ」 と 「小カデンツァ」 の 2 バージョン、 演奏者が 選ぶ
- 技巧と 音楽性の 両立 が 極めて 困難
映画 [シャイン (Shine)] (1996、 監督 スコット・ヒックス、 主演 ジェフリー・ラッシュ) — 実在のピアニスト デイヴィッド・ヘルフゴット が [ラフ 3] を弾いて 精神を病む 実話。 世界的に有名。
[パガニーニの主題による ラプソディー] Op. 43 (1934)
主題 + 24 変奏、 パガニーニ [24 のカプリース 第 24 番] を主題に。 「第 18 変奏」 (逆行主題) は 世界一有名なメロディー、 映画 [ある日どこかで (Somewhere in Time)] (1980) で 更に 有名に。
「実質 5 曲目の ピアノ協奏曲」 とも 言われる、 ピアノとオーケストラのための 傑作。
24 の前奏曲 — 全 24 調
バッハ [平均律]、 ショパン [前奏曲集 Op. 28] の 系譜:
- [10 の前奏曲 Op. 23] (1901-1903)
- [13 の前奏曲 Op. 32] (1910)
- 合計 24 曲、 全 24 調 を網羅
練習曲 [音の絵 (Études-tableaux)] Op. 33, Op. 39
「絵画的な 練習曲」。 各曲に 暗黙の 標題 (ラフマニノフは 明かさなかった)。 現代の解釈者が 探求。 全 17 曲。
2 つのピアノ・ソナタ
- [ソナタ第 1 番 ニ短調 Op. 28] (1907) — 巨大 (35 分)、 演奏頻度は 相対的に低い
- [ソナタ第 2 番 変ロ短調 Op. 36] (1913, 改訂 1931) — 演奏頻度 高い
交響曲・声楽曲
- [交響曲第 2 番 ホ短調 Op. 27] (1907) — 世界的人気、 第 3 楽章 (アダージョ) が 有名
- [交響曲第 3 番 イ短調 Op. 44] (1935-1936) — 米亡命中
- [死の島 (Isle of the Dead)] Op. 29 (1908) — 交響詩、 ベックリンの絵画
- [晩祷 (All-Night Vigil、 Vespers)] Op. 37 (1915) — ロシア正教会の 無伴奏合唱曲、 深奥
ラフマニノフの 指
ラフマニノフの 手が異常に大きい:
- 13 度 (C から オクターブ上の A) を 一手で 届く
- 左手で 単一の 12 音和音 を 弾ける
- マルファン症候群 の 説 (身長 198 cm、 蜘蛛のような指)
「彼にしか弾けない曲」 を 書いた、 とも 言われる。 現代の 平均的な手のピアニストは、 一部の 箇所を 弾きやすく 改編 して 演奏。
亡命後の 「作曲の 停滞」
1917 年の 亡命後、 ラフマニノフは 25 年間で わずか 6 作品 しか 作曲せず:
- [ピアノ協奏曲第 4 番] (1926)
- [3 つのロシア民謡] (1926)
- [コレルリの主題による 変奏曲] (1931)
- [パガニーニの主題による ラプソディー] (1934)
- [交響曲第 3 番] (1935-1936)
- [交響的舞曲 (Symphonic Dances)] Op. 45 (1940)
「故郷を 失った 苦しみが、 作曲を 止めた」 — ラフマニノフの 亡命の悲劇。 演奏活動で 世界的名声を 得つつ、 心は 常に ロシア にあった。
[交響的舞曲] (1940) — 遺作
米亡命後の 最後の作曲、 遺作。 3 楽章の 華麗な オーケストラ曲、 隠された ロシア正教会の コラール の 引用、 [ディエス・イレ (怒りの日)] 主題 の 回帰。
「ラフマニノフの 音楽的 遺言」 — 過去を 振り返り、 未来を 見つめる 作品。
「ラフマニノフの 亡命は 音楽の 亡命」
ラフマニノフの 亡命は、 19 世紀ロマン派の 亡命 を 象徴。 20 世紀の 米国で、 失われた 19 世紀ヨーロッパの 音楽を 一人で 体現 した。
現代の 世界的な ラフマニノフ人気 (協奏曲の コンサート・録音・映画使用) は、 「失われた 世界への ノスタルジー」 の 音楽的 表現。
アレクサンドル・スクリャービン — 神秘主義の 光
アレクサンドル・ニコラエヴィチ・スクリャービン (Alexander Nikolayevich Scriabin、 1872-1915) は、 モスクワ生まれ。 ラフマニノフの 1 歳上の 同期生 だが、 43 歳で 早世、 対照的な 音楽人生。
生涯
- 1872 年 1 月 6 日 — モスクワで 誕生 (貴族の家、 母は ピアニスト、 生後直後 死去)
- 1888-1892 — モスクワ音楽院 で ラフマニノフと 同期。 手を痛めて ピアニストの道を諦め、 作曲へ
- 1897 年 — 結婚
- 1904 年 — 妻子を 捨て、 タチアナ・シュレツェル と 駆け落ち
- 1904-1908 — スイス・ジュネーヴ、 神秘主義に傾倒
- 1909-1915 — モスクワに戻り、 演奏・作曲
- 1915 年 4 月 27 日 — モスクワで 唇の腫瘍 (敗血症) により 急死、 43 歳
神秘主義への 傾倒
スクリャービンは 1900 年代から 神秘主義・神智学 に 深く 傾倒:
- ヘレナ・ブラヴァツキー (神智学協会 創始者) の 著作
- ロシア象徴主義文学 (メレシコフスキー、 イワノフ)
- 色と音の 対応 (共感覚)
- 「音楽で 世界を 変える」 という 使命感
彼の作品は 徐々に 神秘主義的、 神秘的な色彩 を帯びる。
「神秘和音 (Mystic chord)」
スクリャービン後期の 主要和音: C-F♯-B♭-E-A-D、 4 度を積み重ねた 6 音和音。 調性を 曖昧化 する 独特の 響き。
「神秘和音」 は 後の 12 音技法 への 直接祖先の一つ。 スクリャービンは シェーンベルクと 独立に、 調性の 解体 に 到達していた。
10 のピアノ・ソナタ
スクリャービンの 中核 :
- 初期 (第 1-3 番) — ショパン・リスト的、 ロマン派
- 中期 (第 4-6 番) — 神秘和音の 導入
- 後期 (第 7-10 番、 1911-1913) — 完全な 「無調」 の 世界、 単一楽章、 神秘的な タイトル (「白ミサ (第 7 番)」、 「黒ミサ (第 9 番)」)
第 5 番以降、 調号 (シャープ・フラット) を 廃止、 「多調・無調」 の 世界へ。
現代の名演: ソフロニツキー (娘婿)、 ホロヴィッツ、 リヒテル、 アシュケナージ、 ソコロフ、 藤田真央。
交響曲・交響詩
- [交響曲第 1 番] Op. 26 (1899-1900) — 6 楽章、 独唱・合唱
- [交響曲第 2 番] Op. 29 (1901)
- [交響曲第 3 番 「神聖な詩」] Op. 43 (1902-1904)
- [法悦の詩 (Le Poème de l’extase、 Poem of Ecstasy)] Op. 54 (1905-1908) — 交響詩、 スクリャービン中期の 頂点
- [プロメテウス — 火の詩 (Prometheus - Poem of Fire)] Op. 60 (1908-1910) — 大オーケストラ + ピアノ + 合唱 + 色光鍵盤 (clavier à lumières)
[プロメテウス — 火の詩] — 色と 音の 融合
1910 年の プロメテウス は、 スクリャービンの 神秘主義の 頂点:
- 各音に 対応する 色を 投影する 「色光鍵盤」 を 楽譜に 指定
- 現代でも 演奏 + 光の 投影 で 再現される
- 「共感覚 (synesthesia、 音楽を聴くと 色が見える)」 の 現象 (スクリャービン自身が この能力を持っていたか、 神秘主義的な 設定かは 議論)
未完の [ミステリウム (Mysterium)]
スクリャービンの 最後の構想:
- 7 日間・7 晩 の 巨大な 儀式音楽
- ヒマラヤ山中 で 演奏
- 人類の 意識を 変化させる 「終末の音楽」
- 演奏後、 世界は 新しい 段階へ
完全に 未完 (スケッチ 断片のみ)、 スクリャービンの 死で 終わる。 神秘主義的 誇大妄想 とも、 20 世紀 前衛芸術の 先駆 とも 評価される。
43 歳の 早世
1915 年 4 月、 唇の 小さな腫瘍 (現代なら 抗生物質で 治療可能) から 敗血症、 わずか 数日で死去。 未完の [ミステリウム] を残して。
「20 世紀音楽の もう一つの 可能性が 死んだ」 — 音楽史の 大きな損失。
モスクワ音楽院の 同期生 — 対比
| スクリャービン | ラフマニノフ | |
|---|---|---|
| 生年 | 1872 | 1873 (1 歳下) |
| モスクワ音楽院 | 1888-92 | 1885-92 |
| 卒業後 | ピアニスト → 作曲家 | ピアニスト + 作曲家 + 指揮者 |
| 転換点 | 神秘主義 (1900 頃) | [第 2 協奏曲] 成功 (1901) |
| 1917 年 革命 | 既に死去 (1915) | 米亡命 |
| 没年 | 1915 (43 歳) | 1943 (70 歳) |
| 後世 | 20 世紀前衛の 予告 | 19 世紀の 継承者 |
同じ 教室から、 20 世紀への 別々の 道。 スクリャービンは 前衛、 ラフマニノフは 保守。 二人とも、 それぞれの 意味で 20 世紀音楽の 象徴。
その他の 20 世紀初頭ロシア・ピアノ
ニコライ・メトネル (1880-1951)
モスクワ音楽院、 ラフマニノフの 友人。 [3 つのピアノ協奏曲]、 [おとぎ話 (Skazki)]、 [ピアノ・ソナタ 14 曲]。 「ロシアの ブラームス」、 亡命後 ロンドンで 死去。
アントン・ルビンシテイン (1829-1894)
モスクワではなく サンクトペテルブルクの 巨匠、 19 世紀後半に活躍。 サンクトペテルブルク音楽院 創設 (1862)。 リストと 並ぶ 19 世紀ヴィルトゥオーゾ。
セルゲイ・タネーエフ (1856-1915)
チャイコフスキーの弟子、 ラフマニノフ・スクリャービンの師。 モスクワ音楽院院長、 対位法の権威。
ロシア・ピアニズムの 系譜
ロシア・ピアノ楽派 は 20 世紀の 主流:
- アントン・ルビンシテイン → タネーエフ → ラフマニノフ・スクリャービン
- ニコライ・ルビンシテイン (アントンの弟) → ジロティ → ラフマニノフ
- レシェティツキー (ウィーン) → シュナーベル、 パデレフスキ
20 世紀の リヒテル、 ギレリス、 ソフロニツキー、 アシュケナージ、 プレトニョフ、 ソコロフ、 キーシン、 マツーエフ — 全て この 系譜の 直接後継。
亡命ロシア人の 系譜
1917 年 革命以降、 多くの ロシア音楽家が 亡命:
- ラフマニノフ (米国)
- ストラヴィンスキー (仏 → 米国) — 前記事参照
- プロコフィエフ (1918 亡命 → 1936 帰国、 次シリーズ 09)
- メトネル (ロンドン)
- ホロヴィッツ (1903-1989) — 1928 年亡命、 20 世紀最大の ピアニストの一人
- ホフマン、 ボリス・ベルマン など
「ロシア亡命音楽家」 の 系譜が、 20 世紀の 米国・欧州の 音楽文化に 決定的影響を 与えた。
ラフマニノフ・スクリャービン弾き — 20-21 世紀
ラフマニノフ弾き
- ラフマニノフ自身 — 20 世紀最大の ピアニストの一人、 大量の 録音
- ヴラディーミル・ホロヴィッツ (1903-1989) — ラフマニノフの 娘婿的 存在
- アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリ (1920-1995) — イタリア
- スヴィアトスラフ・リヒテル (1915-1997)
- ヴラディーミル・アシュケナージ (1937-)
- エフゲニー・キーシン (1971-)
- デニス・マツーエフ (1975-)
- ダニール・トリフォノフ (1991-)
- 藤田真央 (1998-) — 現代日本
スクリャービン弾き
- ウラディーミル・ソフロニツキー (1901-1961) — スクリャービンの 娘婿、 神秘主義の 継承
- スヴィアトスラフ・リヒテル
- ヴラディーミル・ホロヴィッツ
- グリゴリー・ソコロフ (1950-)
- アレクサンダー・トラーゼ、 ボリス・ベルマン
現代への 影響
ラフマニノフ
- 世界のピアノ・レパートリーの 中核
- 映画音楽での 引用 — [シャイン]、 [7 年目の浮気]、 [ある日どこかで] 等
- YouTube・SNS 時代の 人気曲 — 若い世代への 訴求力
- 「ロシアの 音楽的アイコン」
スクリャービン
- 20 世紀前衛音楽への 予告 — シェーンベルクと 独立の 無調化
- 共感覚芸術・光と音の 融合 — 現代の インスタレーション、 VR 音楽
- 神秘主義音楽 — メシアン、 タヴィナー、 ペルトへの 影響
この記事から次の記事へ
ロシア・ロマン派の 最終形、 ラフマニノフとスクリャービンを辿った。 次記事では、 20 世紀の 名ピアニスト に入る。 ヴラディーミル・ホロヴィッツ (1903-1989)、 スヴィアトスラフ・リヒテル (1915-1997)、 グレン・グールド (1932-1982)、 マルタ・アルゲリッチ (1941-)、 アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリ (1920-1995)、 アルフレッド・ブレンデル (1931-)、 マウリツィオ・ポリーニ (1942-2024)、 内田光子 (1948-) — 録音時代の 巨匠たちを 辿る。 「作曲家」 の系譜から 「演奏家」 の 系譜へ 焦点を 移す。