モーツァルトとハイドン — 古典派ピアノの黄金時代

ハイドン (1732-1809) が 弦楽四重奏とソナタの形式を確立、 モーツァルト (1756-1791) が 27 のピアノ協奏曲・18 のソナタで フォルテピアノを 独奏楽器の 王座へ 押し上げた。 モーツァルトの [トルコ行進曲] [幻想曲 ハ短調] [ピアノ協奏曲 20 番・21 番・23 番]、 ハイドンの [変奏曲 ヘ短調] — チェンバロから フォルテピアノへの 移行が完成し、 ウィーン古典派 40 年 (1770-1810) の 中で ピアノは 家庭・サロン・演奏会の 中心楽器へと 発展する。

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古典派の 時代 — 1770-1810

前記事 [バッハと 鍵盤音楽] の バロック期を経て、 18 世紀後半、 ウィーン古典派 の 時代が来る。 中心は ハイドン (1732-1809)、 モーツァルト (1756-1791)、 ベートーヴェン (1770-1827、 次記事) の 3 人。

この 40 年で:

  • チェンバロから フォルテピアノへの 完全移行
  • ソナタ形式・古典派協奏曲形式の 確立
  • 家庭・貴族サロンの 中心楽器化
  • 公開演奏会の 誕生

「バロックの 対位法」 から 「古典派の 明晰な和声・形式」 への 大転換。

フランツ・ヨーゼフ・ハイドン — 古典派の 建築家

フランツ・ヨーゼフ・ハイドン (Franz Joseph Haydn、 1732-1809) は、 オーストリア・ローラウ 生まれの 作曲家。 「交響曲の父」 「弦楽四重奏の父」 と 呼ばれ、 古典派の 形式・様式を 確立した 中心人物。

106 の交響曲、 68 の弦楽四重奏、 62 のピアノ・ソナタ、 その他 協奏曲、 オラトリオ、 オペラなど 膨大な作品。

生涯

  • 1732 年 3 月 31 日 — オーストリア・ハンガリー国境の ローラウで 誕生 (車大工の 家)
  • 1740 年 — ウィーン・シュテファン大聖堂の 少年聖歌隊
  • 1761-1790エステルハージ侯爵家 楽長 (ハンガリーの アイゼンシュタット、 エステルハーザ宮殿)、 30 年間
  • 1791-1795ロンドン訪問 2 回、 大成功。 [ロンドン交響曲] 12 曲
  • 1809 年 5 月 31 日 — ウィーンで死去、 77 歳。 ナポレオン軍の ウィーン包囲下で 死去

「30 年の 孤立が 才能を育てた」

ハイドン自身の言葉:

「私は 世界から 隔離されていた。 だから 独創的にならざるを得なかった」

エステルハージ家の 30 年の 楽長時代、 ハイドンは ハンガリーの田舎で 世界の音楽情勢から 隔離 されていた。 それが逆に、 世代を超えて 独自の様式を 追求できた 環境となる。

ハイドンの ピアノ・ソナタ 62 曲

ハイドンは 62 のピアノ・ソナタ を書いた (実際は チェンバロ用と フォルテピアノ用が 混在)。 モーツァルト (18 曲) や ベートーヴェン (32 曲) より 数は多いが、 現代の 演奏頻度は 相対的に 低い。

代表作

  • [ソナタ 変ホ長調 Hob. XVI:52] (1794)ロンドン訪問時、 テレーゼ・ヤンセン (ピアニスト) のために。 ハイドン晩年の傑作、 演奏時間 25 分近く
  • [ソナタ ハ長調 Hob. XVI:50] (1794) — 同時期、 明るく壮大
  • [ソナタ ホ短調 Hob. XVI:34] (1780 頃) — 短調の傑作、 疾風怒濤 (Sturm und Drang)

[変奏曲 ヘ短調 Hob. XVII:6] (1793)

ハイドン独奏曲の 頂点の一つ。 同時期に妻を失った 悲しみを 反映 した、 深く重い作品。 現代でも リヒテル、 ブレンデル、 アンドラーシュ・シフ らが 名演を残す。

ハイドンから モーツァルトへ — 友情

ハイドンと 24 歳年下のモーツァルト は 深い友情で結ばれていた:

  • 1785 年、 モーツァルトが 6 つの弦楽四重奏 「ハイドン・セット」 を ハイドンに献呈
  • ハイドンが モーツァルトの父 レオポルドに 「あなたの息子は 私が個人的に知る 中で 最高の作曲家です」 と 語ったという 有名な逸話
  • モーツァルトの死 (1791) を ハイドンは 深く 悼んだ

「先輩から 後輩への 惜しみない称賛」 の 数少ない歴史的例。 音楽史上の 美しい 師弟関係の一つ。

ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト

ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト (Wolfgang Amadeus Mozart、 1756-1791) は、 ザルツブルク生まれの 作曲家。 35 歳で早世、 生涯 600 曲以上 を作曲。

モーツァルトほど 全ジャンルに 傑作を残した作曲家は 他にいない — オペラ、 交響曲、 協奏曲、 室内楽、 ソナタ、 宗教音楽、 舞曲。 その中でも ピアノ音楽 (協奏曲・ソナタ・幻想曲) は 中核。

生涯 (超略)

  • 1756 年 1 月 27 日 — ザルツブルクで誕生 (父レオポルドは 宮廷楽長)
  • 6-15 歳 — ヨーロッパ大演奏旅行 (パリ、 ロンドン、 ミュンヘン、 イタリア)
  • 1781 年 — ザルツブルクを飛び出し、 ウィーンで フリーランス音楽家 に (前代未聞の 選択)
  • 1782 年 — コンスタンツェ・ウェーバーと結婚
  • 1786-1790ピアノ協奏曲の 全盛期
  • 1791 年 12 月 5 日[レクイエム] 未完のまま、 ウィーンで死去、 35 歳

モーツァルトの ピアノ

モーツァルトが 主に使用したピアノは アントン・ヴァルター (Anton Walter、 1752-1826) の フォルテピアノ (1782 年頃購入)。 5 オクターブ (60 鍵前後)軽いタッチ、 明晰な発音、 現代のスタインウェイとは 別物。

  • モーツァルト家に 現存 (ザルツブルク・モーツァルト生家博物館)
  • 現代の 復元品で モーツァルトの音を 聴くことができる
  • アンドラーシュ・シフ、 マルコム・ビルソン、 ロバート・レヴィン らが フォルテピアノで モーツァルトを 録音

「モーツァルトの 音楽は 現代のスタインウェイでも 弾けるが、 ヴァルター製の 響き で 聴くと 全く違う」 — 古楽演奏の 発見。

27 のピアノ協奏曲 — 傑作群

モーツァルトは 27 の ピアノ協奏曲 (K.37-595) を作曲。 うち 後期の 15 曲 (K.271 以降) が 傑作。 特に:

番号 調性 K. 特徴
9 番 変ホ長調 K.271 「ジュノム協奏曲」 、 21 歳、 若きモーツァルトの 傑作
20 番 ニ短調 K.466 短調、 疾風怒濤、 ベートーヴェンが カデンツァを書く
21 番 ハ長調 K.467 エルヴィラ・マディガン、 第 2 楽章 (映画 [みじかくも美しく燃え] で有名)
23 番 イ長調 K.488 モーツァルト最愛の作、 澄明な第 2 楽章
24 番 ハ短調 K.491 短調、 悲劇的、 ベートーヴェン [第 3 協奏曲] の モデル
27 番 変ロ長調 K.595 最後の 協奏曲、 死の年、 天国的

「オペラ的な 協奏曲」

モーツァルトの 協奏曲は オペラ的。 独奏ピアノが 主人公、 オーケストラが 舞台の 人物たち、 の 対話劇。 短調の 21 番・23 番・24 番は モーツァルトのオペラの 諸情念 (愛、 嫉妬、 悲嘆、 復讐) と 音楽的に 直結。

現代の名演: ブレンデル、 内田光子、 ペライア、 ルプー、 藤田真央 の 全集録音。

18 のピアノ・ソナタ — 教育の 定番

モーツァルトの 18 のピアノ・ソナタ (K.279-576) は、 世界の ピアノ教育の 中期教材 として 定着。 「モーツァルトを 弾けないと 中級ピアニストとは 呼べない」 という 通念。

有名ソナタ

  • [ソナタ ハ長調 K.545]「初心者用」 、 全世界の 子どものレパートリー
  • [ソナタ イ長調 K.331]第 3 楽章 「トルコ行進曲」 で 有名
  • [ソナタ 変ロ長調 K.333] — 明晰な 3 楽章
  • [ソナタ ニ短調 K.310]短調の傑作、 母の死を反映

「モーツァルトは 易しく 見えて 難しい」

モーツァルトのピアノ音楽は、 一見単純だが 弾くのは 極めて難しい音符が少ない → ミスが目立つメロディー中心 → 表現力が問われる軽やかさと 深さの 両立

アルトゥール・シュナーベル (1882-1951) の 有名な言葉:

「モーツァルトは 子どもに簡単すぎて、 大人には 難しすぎる」

世界のピアニストの 真価を試す 作曲家の 一人。

[幻想曲 ハ短調 K.475]・[ソナタ ハ短調 K.457]

1785 年[幻想曲 ハ短調 K.475][ソナタ ハ短調 K.457] の 対になった 傑作。 モーツァルトの短調の 深さ の 到達点。

幻想曲 は 自由な即興的形式、 短調・長調・短調 の 揺れが 特徴。 これは ベートーヴェン [悲愴ソナタ]、 シューベルト [幻想曲] への 直接の影響。

[トルコ行進曲] と 「アラ・トゥルカ」

ソナタ K.331 の第 3 楽章 [トルコ風ロンド (Alla Turca)] は、 世界一有名なピアノ曲 の一つ。

  • 1780 年代の ウィーンで トルコ音楽が流行 (トルコ軍楽隊の 影響)
  • モーツァルト・ハイドン・ベートーヴェンも 「トルコ風」 を 取り入れる
  • 「打楽器風」 の 響きが ピアノで 再現される

現代でも 子どもの ピアノ発表会の 定番辻井伸行、 ラン・ラン など 巨匠も 演奏する。 音楽の 異文化受容の 象徴

公開演奏会の 誕生

モーツァルトの時代、 音楽演奏の場が 大転換:

貴族サロン (伝統)

  • 貴族の家 で 少人数の 私的な音楽会
  • ハイドンの エステルハージ家、 モーツァルトの ザルツブルク大司教

公開演奏会 (新形式)

  • チケット販売 で 一般市民が入場
  • モーツァルトが 1782 年以降、 ウィーンで 自作の 予約演奏会 を 開催
  • 1785 年 2 月 11 日、 モーツァルトの 予約演奏会 に父レオポルドが同席、 息子の 成功を目撃

「音楽を 市民が お金を払って 聴く」 文化の 誕生。 これが 19 世紀のコンサートホール文化 に発展。

モーツァルトの 早世と 埋葬

1791 年 12 月 5 日 午前 0 時 55 分、 モーツァルトは 35 歳で死去。 死因は リウマチ熱と 慢性感染症 と 現代の医学史では推定 (毒殺説は 否定的)。

  • [レクイエム K.626] 未完のまま
  • 妻コンスタンツェは 弟子 ジュスマイヤー に 未完部分の補作を依頼、 完成
  • 葬儀は 12 月 7 日、 シュテファン大聖堂で 簡素に、 その後 共同墓地 (サン・マルクス墓地) に 埋葬
  • 正確な墓地位置は 現代まで不明 (後世 記念碑は建てられた)

「モーツァルトの 死因」 「モーツァルトの 墓」 という 未解明の 2 大テーマ、 現代でも 研究が 続いている。 200 年後、 映画 [アマデウス] (1984、 ミロス・フォアマン監督) で 世界に モーツァルト像が 再広まる。

「ケッヘル番号」 K. — 世界最大の 作品目録

モーツァルトの 全作品を 時系列で 番号付け した ケッヘル目録 (Köchel-Verzeichnis) は、 1862 年に ルートヴィヒ・フォン・ケッヘル が編纂。 K.1 (5 歳の作品) から K.626 [レクイエム] まで

現代でも 世界共通の モーツァルト作品番号。 「K.331」「K.488」 だけで 世界のどの音楽家にも 通じる

前記事 [バッハ] の BWV 番号 と 対応する 「作品目録」 の 代表例。

「シニア世代」 の ピアノ演奏家 — モーツァルト・ハイドン スペシャリスト

  • ヴィルヘルム・ケンプ (1895-1991) — ドイツ、 モーツァルト・ベートーヴェン
  • アルフレート・ブレンデル (1931-) — オーストリア (英国籍)、 モーツァルト全集
  • クララ・ハスキル (1895-1960) — ルーマニア→スイス、 モーツァルトの詩人
  • 内田光子 (1948-) — 日本、 モーツァルト・ソナタ全集で グラミー賞
  • マレイ・ペライア (1947-) — 米、 モーツァルト協奏曲全集 (自身弾き振り)
  • 藤田真央 (1998-) — 日本、 現代の モーツァルト奏者

現代への 影響

  • 教育 — モーツァルト・ハイドンは 世界の ピアノ教育の 中期教材の 定番
  • 演奏会 — 現代でも 頻繁上演、 コンクール定番曲
  • 作曲 — 古典派の 形式 (ソナタ、 協奏曲) が 現代までの 音楽の 基本骨格
  • 映画 — [アマデウス] (1984)、 [みじかくも美しく燃え] (1967) が モーツァルトを 大衆に
  • モーツァルト効果 — 「モーツァルトを聴くと 頭が良くなる」 (擬似科学だが 流通)

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古典派 ピアノの 黄金時代を辿った。 次記事では、 ベートーヴェン (1770-1827) の 32 のピアノ・ソナタと 5 つのピアノ協奏曲。 モーツァルトの死 (1791) の 1 年後にウィーンに来た 21 歳のベートーヴェン が、 いかに フォルテピアノを 楽器の限界を超えて 駆使[悲愴]・[月光]・[熱情]・[ワルトシュタイン]・[ハンマークラヴィーア] の 巨大なピアノ音楽を 生み、 難聴の中で ピアノ曲を書き続けた かを 辿る。

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