ショパン — ピアノの詩人、 パリの サロン
フレデリック・ショパン (1810-1849) は、 生涯を通じて ほぼ 全作品を ピアノのために書いた 稀有な作曲家。 ポーランドで生まれ、 20 歳でパリへ亡命、 サロン文化の 寵児となる。 [夜想曲 (ノクターン)] [マズルカ] [ポロネーズ] [バラード] [スケルツォ] [練習曲] [前奏曲] [ソナタ] — 洗練と ノスタルジー、 華麗と 内省の 融合。 ジョルジュ・サンドとの 10 年、 パリ・マジョルカ・ノアン、 39 歳での 結核死まで、 ロマン派ピアニズムの 完成形を辿る。
ショパン — 「ピアノの詩人」
フレデリック・フランソワ・ショパン (Fryderyk Franciszek Chopin、 1810-1849) は、 ポーランド生まれの フランス人 作曲家・ピアニスト。 生涯ほぼ 全作品を ピアノのために書いた 稀有な存在。 音楽史における 「ピアノの詩人 (Poet of the piano)」 。
前記事 [ベートーヴェン] の 巨大な英雄的ピアノ音楽と 対照的に、 ショパンは 内省的・洗練された ピアノ音楽 の 別の頂点を築いた。
200 曲以上 の ピアノ作品を残し、 その ほぼすべてが 世界の ピアニストの 標準レパートリー となっている。
生涯 — 39 年の 短命
- 1810 年 3 月 1 日 — ポーランド・ジェラゾヴァ・ヴォラ (ワルシャワ近郊) で誕生。 父ニコラは フランス人 (仏語教師)、 母は ポーランド人
- 1817 年 — 7 歳で 最初の作品、 「モーツァルト 2 世」 と 呼ばれる
- 1826-1829 — ワルシャワ音楽院、 ヨゼフ・エルスナー に師事
- 1830 年 11 月 — 20 歳、 ウィーンを経て パリへ出発。 その 直後、 ポーランド 11 月蜂起 (ロシアからの独立戦争、 失敗)
- 1831 年 9 月 — パリ到着、 生涯 帰国せず
- 1836 年 — ジョルジュ・サンド (作家) と出会う
- 1838-39 年 冬 — サンドと マジョルカ島 で 越冬 ([前奏曲集] 完成)
- 1839-1846 — サンドの田舎屋敷 ノアン (Nohant) で 夏を 過ごす
- 1847 年 — サンドと 破局
- 1848 年 — ロンドンでの 演奏旅行、 体力の限界
- 1849 年 10 月 17 日 — パリで 結核死、 39 歳
パリの ショパン — サロンの 寵児
1831 年、 20 歳のショパンが パリに到着した時、 街は 音楽の中心地:
- リスト、 ヒラー、 メンデルスゾーン らが 集まる
- カルクブレンナー (ピアニスト) から 指導を提案されるが 「不要」 と断る
- 貴族・銀行家の サロン で 演奏、 名声を得る
「公開演奏会を避ける」
ショパンは 公開演奏会を 苦手 としていた。 生涯の 公開演奏は わずか 30 回程度。 主戦場は 貴族の 私的サロン — 数十人の 上流階級の 前で 弾く。
「大ホールの ライオン (リスト) と、 サロンの 詩人 (ショパン)」 の 対比。 二人は同時代、 パリで 交流したが、 スタイルは 全く 異なった。
レッスンで 生計
公開演奏を避けたショパンは、 貴族の令嬢への ピアノレッスン で 生計を立てた。 1 レッスン 20 フラン (当時、 大金)。 150 人以上の弟子、 特に カロリーヌ・ド・ベリオ、 パウリーヌ・ヴィアルド (歌手) らが有名。
ジョルジュ・サンドとの 10 年
ジョルジュ・サンド (George Sand、 本名 Amantine Aurore Lucile Dupin、 1804-1876) は、 6 歳年上の フランス人 女流作家。 男装、 葉巻、 恋愛遍歴 で 当時の パリを 席巻。
- 1836 年 10 月 — リストの家で ショパンと 初対面
- 1837 年 — 交際開始
- 1838-39 年 冬 — マジョルカ島 バルデモッサ修道院 で 越冬。 ショパンは 結核悪化、 サンドが 献身的に 看護。 [前奏曲集 Op. 28] (24 曲) 完成
- 1839-1846 — 夏は サンドの田舎屋敷 ノアン、 冬は パリ。 ショパンの 最も 生産的な時期
- 1847 年 7 月 — 破局。 サンドの 娘・息子との 家族問題が 原因
- 1849 年 10 月 17 日 — ショパン死去。 サンドは 葬儀には来なかった
10 年の 密度濃い関係、 音楽史の 有名な 恋愛。 サンドの 小説 [愛の妖精 (La petite Fadette)]、 [魔の池 (La mare au diable)] は ノアン時代の作品。
作品ジャンル — ピアノに 特化
ショパンは ほぼ全作品が ピアノ。 例外は:
- [チェロ・ソナタ ト短調 Op. 65] (1846) — 晩年の傑作
- [ピアノ協奏曲 第 1 番 Op. 11]・[第 2 番 Op. 21] (実際は 2 番が先) — 若い頃
- [ピアノ・トリオ]、 [歌曲集] — 少数
ピアノに 集中した 稀有な作曲家。 ショパンにとって、 ピアノは 完璧な楽器 であり、 他の楽器編成は 必要なかった。
主要ジャンル別 作品
練習曲 (Étude) — 27 曲
- [練習曲 Op. 10] (12 曲、 1833) — リストに献呈。 「別れの曲」 (第 3 番、 ホ長調)、 「革命」 (第 12 番、 ハ短調)
- [練習曲 Op. 25] (12 曲、 1837) — 「木枯らし」 (第 11 番、 イ短調)、 「大洋」 (第 12 番、 ハ短調)
- [3 つの新しい練習曲] (1839)
「技術的難曲」 と 「芸術的傑作」 の 統一。 前記事 [ベートーヴェン] の [ハンマークラヴィーア] や、 リストの [超絶技巧練習曲] と 並ぶ、 ロマン派ピアニズムの 頂点。
ノクターン (Nocturne、 夜想曲) — 21 曲
アイルランドの ジョン・フィールド (1782-1837) が創始した 形式を、 ショパンが 完成。
- [Op. 9-2 変ホ長調] — 世界一有名なノクターン、 世界のピアノ発表会の 定番
- [Op. 27-2 変ニ長調] — 大きなクレシェンドと 甘美なメロディー
- [Op. 48-1 ハ短調] — 荘厳、 変奏的
- [Op. 55、 Op. 62] — 晩年の 深いノクターン
「夜想曲」 という 語感が、 ショパンの 内省的な音楽性と 完全に 一致。
マズルカ (Mazurka) — 60 曲以上
ポーランドの 民俗舞曲 を 芸術化。 生涯を通じて 書き続けた、 ショパンの 「ポーランドへの 郷愁」 の 表現。
- 3 拍子、 民俗的リズム
- 調性・和声が 大胆 (異教的な音階の 使用)
- バルトーク・ドビュッシー に大きな影響
「マズルカを 通してのみ ショパンを 理解できる」 (ドイツの音楽学者)。
ポロネーズ (Polonaise) — 16 曲
ポーランドの 貴族の舞曲 (3 拍子)。 マズルカが 「農民」 なら、 ポロネーズは 「貴族の 誇り」 。
- [Op. 40-1 「軍隊」] — 華麗、 士気を鼓舞
- [Op. 53 「英雄 (Héroïque)」] — 最有名、 ポーランド国民精神
- [Op. 61 「幻想」] — 晩年、 幻想曲と 融合
バラード (Ballade) — 4 曲
- [第 1 番 ト短調 Op. 23] — 世界一有名なバラード
- [第 2 番 ヘ長調・第 3 番 変イ長調・第 4 番 ヘ短調]
「叙事詩的な物語」 を 器楽で 展開する 新形式。 ショパンが 発明。
スケルツォ (Scherzo) — 4 曲
- [第 1 番 ロ短調 Op. 20] — 激烈な冒頭
- [第 2 番 変ロ短調 Op. 31] — 有名、 「ライトモチーフ」
- [第 3 番 嬰ハ短調 Op. 39]・[第 4 番 ホ長調 Op. 54]
古典派の 「スケルツォ」 (交響曲の 一楽章) を 独立した ピアノ独奏曲 に 変えた。
前奏曲 (Prélude) — 24 曲 Op. 28
バッハ [平均律] に倣い、 24 の全調に 前奏曲。 短いものから 長いものまで 多様な性格:
- 第 4 番 ホ短調 — 「窒息」、 短調の深い悲しみ
- 第 7 番 イ長調 — わずか 16 小節の 天国的な美
- 第 15 番 変ニ長調 — 「雨だれ」、 マジョルカ島での 作曲伝承
- 第 24 番 ニ短調 — 激烈な終曲
ソナタ — 3 曲
- [第 1 番 ハ短調 Op. 4] (1828) — 若書き、 現代でも 演奏頻度低い
- [第 2 番 変ロ短調 Op. 35] (1839) — 「葬送」 、 第 3 楽章 [葬送行進曲] は 世界的に有名
- [第 3 番 ロ短調 Op. 58] (1844) — 円熟の 傑作、 4 楽章
幻想曲・即興曲・他
- [幻想曲 ヘ短調 Op. 49]
- [即興曲 4 曲] — [幻想即興曲 Op. 66] (死後出版) が有名
- [舟歌 嬰ヘ長調 Op. 60] — 6/8 拍子、 ヴェネツィアの ゴンドラ
- [子守歌 Op. 57]
- [アンダンテ・スピアナートと 華麗な大ポロネーズ Op. 22]
ショパンの 演奏スタイル
同時代人の 証言によれば:
- 音量は 小さい — 「囁くようなピアニシモ」
- ルバート (テンポの伸縮) — 独特の 揺らぎ
- ペダル使用 — 極めて 洗練
- 打鍵は 軽い — フランス式ピアノ (エラール、 プレイエル) に 最適化
- 手が小さい — 指の 独立性で 対応
「ショパン奏法」 は、 現代のピアノ教育の 一つの 系譜として 継承。 対照的な のは 前記事 [ベートーヴェン] の 打楽器的な 強打、 次記事 [リスト] の 華麗な超絶技巧。
ショパンの ピアノ — プレイエル と エラール
ショパン自身:
「気分が良い時は プレイエル、 気分が悪い時は エラール」
- プレイエル (Pleyel) — 華奢な音、 「気まぐれ」 に応える
- エラール (Érard) — 均一な音、 「気分が悪い時でも 弾ける」
ショパンの 死の時、 枕元には プレイエルのピアノ。 現在、 パリの プレイエル・ホールに ショパン記念展示。
パリ・ノアン・マジョルカ — 3 つの舞台
パリ (1831-1849)
- オペラ座広場、 ラフィット街、 シャス街 に 住まい
- サロン、 貴族の家、 少数の 公開演奏
- 弟子への レッスン
- 1849 年 10 月 17 日、 パリで死去
マジョルカ島 (1838-39 冬)
- バルデモッサ修道院 に サンドと 越冬
- [前奏曲集 Op. 28] 完成
- 結核の 悪化、 島民との 摩擦
ノアン (1839-46 夏)
- サンドの 田舎屋敷 (フランス中央部)
- 夏の 静かな 6 ヶ月 で 集中作曲
- [バラード 3 番・4 番、 スケルツォ 3 番・4 番、 ソナタ 3 番、 幻想ポロネーズ] など
ショパンの 死と 「心臓の 帰国」
1849 年 10 月 17 日 午前 2 時、 パリで死去、 39 歳。 遺言:
- 遺体は パリの ペール・ラシェーズ墓地 に (現在も 墓)
- 心臓は ポーランドに 送還してほしい
- 葬儀では モーツァルト [レクイエム] を 演奏
姉ルドヴィカが 心臓をアルコール漬け にして ポーランドへ 持ち帰り、 ワルシャワの 聖十字架教会 の 柱の中に 安置。 現在も 見学可能。
「肉体は パリ、 心は ポーランド」 — 19 世紀のロマンティックな 象徴。
ショパン国際ピアノ・コンクール
1927 年、 ワルシャワで 第 1 回開催。 5 年に 1 回、 世界最高峰のピアノコンクール の 一つ。
主要な 優勝者
- 1927 年 (第 1 回) — レフ・オボーリン (ソ連)
- 1937 年 (第 3 回) — ヤコフ・ザーク (ソ連)
- 1955 年 (第 5 回) — アダム・ハラシェヴィチ (ポーランド)。 マウリツィオ・ポリーニ (2 位、 後に 巨匠)
- 1960 年 (第 6 回) — マウリツィオ・ポリーニ
- 1965 年 (第 7 回) — マルタ・アルゲリッチ
- 1970 年 (第 8 回) — ギャリック・オールソン (米)
- 1975 年 (第 9 回) — クリスチャン・ツィメルマン (ポーランド)
- 1980 年 (第 10 回) — ダン・タイ・ソン (ベトナム) — アジア人初の 優勝
- 1985 年 (第 11 回) — スタニスラフ・ブーニン (ソ連)
- 2005 年 (第 15 回) — ラファウ・ブレハッチ (ポーランド)
- 2010 年 (第 16 回) — ユリアンナ・アヴデーエワ (ロシア) — 45 年ぶりの女性優勝
- 2015 年 (第 17 回) — チョ・ソンジン (韓国)
- 2021 年 (第 18 回) — ブルース・シャオユ・リウ (カナダ、 中国系)。 反田恭平 2 位、 小林愛実 4 位 — 日本人の 大躍進
ショパン弾き — 20-21 世紀の 系譜
- アルトゥル・ルービンシュタイン (1887-1982) — ポーランド系ユダヤ人、 20 世紀最大のショパン弾き
- ヴィトルト・マウツジンスキー (1911-1977) — ポーランド
- ヴラディーミル・アシュケナージ (1937-) — ソ連系
- マウリツィオ・ポリーニ (1942-2024) — イタリア
- マルタ・アルゲリッチ (1941-) — アルゼンチン
- クリスチャン・ツィメルマン (1956-) — ポーランド
- ダン・タイ・ソン (1958-) — ベトナム
- ラファウ・ブレハッチ (1985-) — ポーランド
- 反田恭平 (1994-)、 小林愛実 (1995-)、 亀井聖矢 (2001-)、 藤田真央 (1998-) — 現代日本
「ショパン弾き」 は 一つの職業カテゴリ。 「ショパン以外を弾かない」 ピアニストも いる。
現代への 影響
- ピアノ音楽の 中核 — 世界の コンサート・教育・レコード の 標準
- ショパンコンクール — 5 年ごとの 世界イベント
- 映画 — [別れの曲] (1934)、 [愛の調べ] (1945)、 [ショパン 愛と哀しみの旋律] (2002)、 [戦場のピアニスト] (2002 に 別れの曲) など
- ポーランド国民精神 — ショパンは ポーランドの 象徴
- 日本の ショパン愛 — 世界一と言われる 日本の ショパン人気
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